米と米と米と

バスマティライス(長粒米の高級品種)を主食にする人からみると日本米はあまりに粘っこいと感じられることでしょう。

そして日本米を食べる人からするともち米は粘性が高く、バスマティライスの方はパサパサし過ぎていると感じることでしょう。

何事も自分の近くにある差異は大きく、遠くにある差異は小さく感じられる。実際の差異は同程度だったとしても。

過去、日本が米不足の折に寄贈されたタイ米が「不味い」と報道されたことがあった。あれは、調理法に問題があったのか、輸送や保存方法なのか、不味い品種だったのか。

実は自分たちがもつ米に対する狭隘なモノサシが全てであるように感じたからではなかったか。

美味しさのモノサシは実はバスマティにも、日本のうるち米にももち米にもそれぞれにあり、それぞれにおける差異を後天的に学習することで理解が深まってくるものだろう。美味しさは先天的な、絶対的なものではないだろう。

ブラインドテイスティングではそれぞれの見た目、歴史、雰囲気、権威などの付随的な要素を隠す形で味覚と嗅覚のみを訴求するものだが、付随的な要素を不要とするものではない。一旦外した上で付随的な要素も再認識し、全体で一つの価値を再認識するためのものだろう。

ブラインドテイスティングは、既存の価値構造をもつ高付加価値ブランドにとってはその強化に、またブランド価値が低い商品についてはブランドを高めていく/適正化していくための端緒を発見することに有効なものだろう。

話は行ったり来たりするけれど、我々が地球を中心に宇宙をみた場合、地球と宇宙しか存在しないが、太陽系外にはほかの太陽系が無数にあり、太陽系が所属する銀河も更には銀河団も無数にある。

自分自身を中心とした味覚の価値は絶対的なものではありえない。我々が○○料理は辛すぎる、○○料理は甘すぎるなどといった単純な感想の向こう側では、辛い世界の差異や甘さの微妙さといったものがあり、故に味わったものによる評価は絶対的なものではありえず、自らの評価基準は必ず偏った片田舎の狭隘なものに過ぎないと告白される形で表されるべきものだろう。