糸島市市長選・市議会選、投票前日に思う

朝8時を迎えると同時に「最後のお願いに参りました」と複数の街宣車がけたたましく丁寧な言葉で迷惑な騒音を撒き散らし始める前原中央近辺。

日本の選挙における因習であると同時に、それなりに効果があり、市民が文句を言えないものとされているので時代が代わっても連綿と続いているのだろう。

街角の辻立ちもそうだが、それぞれの候補者の政治的意図やその必然性、実現可能性、信頼性など、投票行動への本来的な検討材料が充分伝えられることがない仕組みのままおざなりに放置されている。

単純に隣がやるから私もやらざるを得ない、とそれが延焼していっているに過ぎない。

そのような流されやすい候補者というものを、どう捉えたらいいのか。

もし隣の人が地獄への道を歩いていることがわかったとしたら、それでもついて行くのか。

隣の人と同じならばその人が候補者となることの必然性はないのではないか。

孤高で迎合しない人にも問題はあることは否定できないが。

地方公共団体での議会選挙でいつも思うのは、実際のところ彼らが立候補する主な目的は「安定的な収入」と「偉ぶることが出来るとされる地位」なのではないか。

議員は兼業が許されながら、議員としての収入も少なくない。

一民間人として、個人事業主や零細企業の経営者として、安定しない収入や、先細りする事業の中、議員になることは、議員としての安定的な報酬を得られることになるほか、あからさまに行うことは出来ないとしても、隠然とした権力を行使することで自分に対して利益誘導できそうであることは、想像に難くない。

それから、私が彼らのうちの多くを信じ切ることが出来ないのは、選挙期間になると平身低頭し、握手を求め、直接的な利益である一票を一票を収穫せんと市内を隅々まで回るのに対し、選挙が終わると今度は、自分たちが貴族になったように立場を逆転させた、上位からの態度を見せるようになること。

選挙期間中も平常時も人に上下はなく、自らの信条やいまテーマとしていることを人々に説き、その人の目的を成すには問題となる考えの合わない別候補や議員、一般人との議論を行って、それを利用して影響力を拡大させて行ったり、自分の考えのブラッシュアップを行ったりしていって欲しい。何よりも彼等は「議論」を仕事とせんとする「議員」になろうとしているのだから。

市民が議員を選ぶということは、議員となる人の議員活動について、市民がその選ばれた人物に対して「彼の活動と、彼が得られる議員報酬は等価交換である」ということを認めるということ。候補からみれば「自分を選ばせてやっている」と見たっていい。とにかく「誰が格上で誰が格下か」ということがいつも意識にあり、選挙期間と平時とでその態度を変える掌返しを無意識的に行う人たちのことに疎みを感じることが隠せない。

市民のことを考えている素振りで、ただただ意味のない連呼で大騒音を撒き散らしていく様は、言うこととやることの不一致で矛盾しているし虚無的な厭世感を覚える。議員になってからの活動内容も知れているというものだ。

もちろん、選挙期間になると返って具体的なことを話せないというような制度上の問題もあるだろう。市民が育っていないというような事情もあるだろう。しかしながらそうした理由はいいわけでもある。

議員であればこそ、クリエイティビティも発揮されなければならないのではないか。なにも議員個人だけにそれを求めなくてもよく、議員チームと言ってもいい。議論できること、説得力があること、実現したい信条や方向性があること、問題を見つける能力があること、創造性が発揮できること、建前だけでもフェアに振る舞うことの大切さがわかること、自己矛盾を発見できること、またそれを処す意志があること、そうしたことが求められるように思う。

街宣車や辻立ちの代わりに、明らかに相対する候補者同士の公開討論が行われ、また地元ケーブルテレビで無編集で放送され続けることなどが実はそう難しくなくすぐに行えることのような気がする。その座組をどこがするか、そこは地元メディアの仕事でしょう。

日本の地方メディアでは、市の広報的な市民に優しい素振りをするやわらかいコンテンツや、フリーペーパーによくある地元企業や店舗などを、心なく褒めるスタイルで紹介する空疎なテンプレ記事ばかりが目立つ。本来的には地元で起こる読者との距離がとても近い様々な事象を取り上げ、それに対しての解説や論評、批判も含めて展開されるのが望ましく、それがあって初めてそのメディアの地元における存在価値は高まるし、市民の意識も高まっていくものと思われる。

そうした地元メディアが相対する意見を持つもの同士に議論してもらう場をお膳立てし、読者や市民に提供する、そうしたことが街宣車や辻立ち、ビラ配りよりも望ましく思える。

あと、今日あたり怪文書とかが流布されるのも伝統的に日本ではよくあること。糸島ではそうあからさまいがみ合ってる感じもないので、まあ今回はないかな?わかんないけど。

あ、それでも酸いも甘いもわかっていて、でもやってるんです「お恥ずかしいです」なんていう意識的な悪人は好きですよ。

自分を疑ってみることが苦手な善人が一番苦手。